SC相模原

SC相模原

MENU

NEWS DETAIL

11-30-2023

 その他 

SCS PLAYERS INTERVIEW Vol.3『今年ダメだったら「引退」するつもりだった』MF14 安藤翼選手

オウンドメディアサムネイル画像_PlayersInterview_003_1120.jpg
取材・文=北健一郎、舞野隼大(SC相模原オフィシャルライター)



背番号14がピッチに立つと、スタジアムに期待感が充満する。

劣勢だろうと、アグレッシブなプレッシングで、ゴールで、SC相模原を窮地から何度も救ってきた。

安藤翼。

クラブ最古参選手で、サガミスタから多くの人気を得ている彼がチームをけん引している。

高校の練習はキツかったけど、必要なことだった

安藤翼の原点は、高校時代にあった。

大分県津久見市の出身で、物心つく頃からボールを蹴っていた。中学時代の安藤は、周りのチームメイトよりも足が速く、ドリブルやテクニックに長けたサッカー少年だった。ある時偶然、自分の試合を小嶺忠敏氏が見ていたことがきっかけで長崎総合科学大附属高校へ進学することになった。

小嶺氏といえば、かつて国見高校を率いてタイトルを幾度となく獲得し、大久保嘉人ら何人ものプロサッカー選手を輩出してきた伝説的指導者。高校では県内の大分トリニータU-18へ進もうと考えていたが、小嶺氏が安藤の自宅まで赴き、熱烈なオファーを出してきた。

「この人の下でサッカーをやってみたい」。安藤の中で強い感情が芽生え、長崎でサッカーをする決意を固めた。

小嶺氏は厳しいトレーニングをすることでも有名だが、「あの時の練習はもうできない(笑)」と冗談混じりで安藤は言う。

「1年生の頃は本当にやめたかったです(笑)。中学生まではたくさんボールを触ってきた方だったので、サッカーより走りばかりだったことがメンタル的にキツ過ぎました。でも、サッカーが好きでしたし、小嶺先生に疑いはまったくありませんでした。今振り返れば『必要なことだったな』と思います。小嶺先生の指導を受ける選択をしていてよかったです」

全国高校サッカー選手権での出場も果たし、走力も、スタミナも高校生の中では群を抜くほどに伸びた。高校3年になる頃、安藤の中には「プロでもやれる」という感覚があった。

しかし、「お前は駒大で強くなれ。ここでならもっと良くなれる」。小嶺氏からは駒澤大学サッカー部への進学を勧められた。

自分とプレースタイルが似ていた先輩が先に進学していたことも決め手の一つになり、九州を飛び出して駒澤大学へ進学した。

大学で出場機会を得るようになったのは3年生になってから。自分の背中を追うようにして長崎総合科学大学附属高等学校に入学した弟の瑞季は、高卒でセレッソ大阪に入団。「俺もプロにならないと」という意識が一層強くなった。

ただ現実はJクラブから練習参加の誘いもなく、一般企業への就職活動も行っていた。そんななか、JFLのホンダロックSCから声がかかり、練習参加を経て入団することになった。


今できることに目を向け、感覚は変わっていった

ホンダロックSCでの契約はプロではなく社員選手。日中は一人の従業員として同じように働き、「ネジを回したり、ドアミラーを一個一個見て、傷が入ってないかひたすら確認したり……ずっと同じことをしていました」

そんな生活をしながら、安藤はJFLで16ゴールをマークし、得点ランキング2位の選手に。新人王とベストイレブン選出という輝かしい実績を残し、1年でJ3のヴァンラーレ八戸へステップアップ。そこで8ゴールを挙げると、さらにその翌シーズンはJ2へ昇格する相模原へ2年連続の個人昇格を果たしてみせた。

「八戸に移籍してきたばかりの時は全然よくなかったですけど、後半戦から点が取れ出して、自分を出せるようになったことが大きかったです。ホンダロックの時と求められることが違って、難しさがあったんですけど、自分が一番評価されるのは『点を取ること』と立ち返ることができて、いいタイミングで決まりました」

今シーズンの活躍にも共通して言えることだが、好調の時はメンタルの波がなく、自分のやるべきことに集中できている時だという。逆に2021年に移籍してきた時は、J2の強度に慣れないうちに決定機を生かし切れず、そこから悪いスパイラルにハマってしまった。

「ゴールを決める時って無心というか、勝手に体が動いてるんですけど、その時はそういう感覚があまりなかったです。いろいろ考え過ぎてしまっていたのか、(シュートを打つ)直前の“迷い”が相当なものになっていたんだと思います。八戸で決められるようになった時も考えずに打ち込めていたんですけど、相模原の1年目ではその要因がわからず『なんで入らないんだ』って、自分をただ一方的に追い詰めるだけでした……」

それでも、試合数を積み重ねていくなかで安藤のマインドは変化していった。

「例えば、出場時間が少ない時でも『なんで出してくれないんだ』という気持ちより、今できることに目を向けてるようになって、自分に必要なことをずっと蓄えてきました。いい準備が常にできていたので『いつか来るでしょ』という感覚がありました。(スタメンで出てゴールを決めた第14節の)FC岐阜戦の後『次のゴールが入れば絶対にいける』、と。焦りはなかったです」

チームトレーニング以外の時間では筋トレのほか、睡眠や体の治療、入浴後1時間かけて体のストレッチをし、夕食を摂る時間も細かく決めていた。そうした一つひとつの努力が自分の実力を少しずつ引き上げた。

次のゴールを決めたのは、アウェイで4-0と大勝した第23節・FC琉球戦。この試合で今季の3得点目を決めると安藤の予感は現実のものとなり、ここから怒涛のゴールラッシュが始まった──。

5DZ_2391.jpg

230618-061.jpg

2桁得点を決めた次は、チームを勝たせるFWへ

「実は……今季結果を出せなかったら『引退』するつもりでいました」

年齢とキャリアプランを踏まえて、今季の始動前に安藤は自分の中で一つの“覚悟”を決めていた。

「今年で27歳になりましたけど、もう若くないし、30代の選手をJ2のクラブが取るかと言われたらちょっと悩むと思うんです。今でも覚えてますけど、J2の時にアルビレックス新潟やV・ファーレン長崎と対戦して、みんなうまくてめっちゃ楽しかったんです。このレベルに追いつくには、自分たちもそういうチームにならないといけない。そう考えたら『今年が勝負の年になる』と思って」

自分で自分を追い込んだことで、結果が遠のいていた時期は苦しむこともあったが、それが自らの足を動かし、今やるべきことに目を向けさせた。

今季の安藤は途中から試合に出ることが多いが、ピッチに立つ際は毎回彼のチャントが歌われる。誰の目から見ても、期待されていることがわかる。

「試合に出る時、自分でも毎回毎回ワクワクしているんです。ゴール裏からの『やってくれよ』という熱がすごく伝わってきますし、サガミスタの応援がめちゃくちゃ力になってます」

自らに決めた“覚悟”と、スタジアムからの声援を活力に、チームへ大きな勢いを与える。

選手としては当然スタートから出場したい気持ちはあるが、途中出場の選手に期待される役割もある。「やるしかない」という気持ちから、勝手に体が動いているという。

だからこそ決められた10ゴール。安藤のなかで最も印象深く残っているのは、第29節・ギラヴァンツ北九州との“裏天王山”で決めた逆転弾だ。

「絶対に負けられない状況で、自分の得意な形からのシュートでした。練習後に戸田(和幸)さんや(高橋)健二さんとずっと練習してきた成果でもあって、いい感覚が残っていたというのもありました。自分のゴールで大事な試合のスコアをひっくり返せたのはうれしかったです」

それ以外にも、第31節・テゲバジャーロ宮崎戦ではニア上の難しいコースをぶち抜くシュートを決め、大げさでもなんでもなく、選手としての“覚醒”を感じさせた。

安藤には今、目指している選手像がある。

「チームを勝たせるためのFWになりたいです。優勝した愛媛FCの松田力選手は点を取る以外のプレーでもチームに貢献している。今季は2桁得点できましたけど、チームは18位で自分の出場時間は1000分台。90分間チームにエネルギーを与え続けて、『こいつがいないとチームはキツくなる』と思ってもらえるような選手にレベルアップしないといけないです」

宮崎戦は安藤の2ゴールで一時逆転したが、最終的には追いつかれてしまっている。北九州戦のように勝利に貢献できた試合もあれば、自分の力で勝たせられなかった試合もある。

安藤がゴールを決め、みんなで勝利のファミリアを歌う。そういう瞬間を、これから何度も何度も味わうためにも、次は、自らが勝利を呼び込める存在になれるか──。

だから、安藤はどんな時だろうとひたむきに走り続ける。そして、そんな姿にサガミスタは心を打たれる。

「サガミスタからは僕が一番エネルギーをもらっています。今はまだ規模が小さいかもしれないですけど、一緒に大きくなりたいし、みんなに恩返しがしたいです」

5DZ_1774.jpg

5DK_0823.jpg





MF14
安藤 翼
TSUBASA ANDO


■SC相模原オフィシャルメディア『ファミリア』
https://www.scsagamihara.com/familia

scsfamilia.png