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06-29-2023

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SCS PLAYERS INTERVIEW Vol.2『俺は、絶対に諦めない』MF22 佐相壱明選手

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取材・文=北健一郎、舞野隼大(SC相模原オフィシャルライター)



水を得た魚のように--。

“カズ”こと佐相壱明は「今、サッカーがすごく楽しいんです」と笑う。

埼玉県の強豪・昌平高校から期待の新人として大宮アルディージャに加入した。

怖いもの知らずの18歳は、明るい未来だけを描いていた。

ただ、そこで待ち受けていたのは厳しい現実だった。

結果を出せないまま、21歳で「契約満了」を言い渡された。

「このままでは終われない」

SC相模原での2年目、運命的な出会いがあった。

戸田和幸新監督の下、佐相は中心選手の1人としてピッチを走り回っている。

新たに芽生えた自覚と責任が、この男を強くしている。



“最低でも”Jリーガーに

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佐相がボールを蹴り始めたのは幼稚園生の頃。5歳上の兄がサッカーをしていた影響で、自然と家にあったボールを蹴っていた。小学4年生の時に地元の緑山SCに入団し、中学生までそこでプレーした。

「兄のサッカーに混ざることもあったのですが、別に足を引っ張るようなことはなく、小学生の時から5号球も蹴れていたので、『キックすげえな』と言われていました」

子どもの5歳差は相当大きいものだ。その中でも普通にやれてしまっていたというから驚く。

「ポジションはトップ下かFWでした。足が速かったので、裏に走って、パスをもらって。小、中では自信を持って中心的にやっていましたね。ライバルは……いなかったですね(笑)」

普段、謙虚な佐相がここまで言うのだ。チームの中でズバ抜けた実力だったことがうかがえる。

高校は、埼玉県の強豪・昌平高校へ。緑山SCのコーチが昌平高校のGKコーチに就任していたことと「寮生活がかっこいいと思っていたから」という、ぼんやりとした憧れで地元の町田市を離れ、サッカーにより打ち込める環境に身を置いた。

ただし昌平高校には一般入試を受けて入学した。緑山SCでは中心的存在だったが、小さいクラブだったのでスポーツ推薦で声がかからなかったからだ。

それでも、佐相は不思議なぐらい自信に満ち溢れていた。

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「俺、“最低でも”Jリーガーになるから」

入寮の日、親が運転する車の中でそんなことを話していたという。

「強気すぎて怖いですよね(笑)。そんな自信がどこから来たのか……今でもわかりません」

昌平高校サッカー部の部員は約200名。1学年上には松本泰志(サンフレッチェ広島)、針谷岳晃(ジュビロ磐田)がいた中で、佐相は1年の夏にトップチームへ呼ばれた。

ポジションは4-2-3-1のワントップ。サイズが大きいわけでなかったが、背後へのランニングと、前線での献身的な守備を評価された。

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高卒でJリーガーに

転機が訪れたのは、高校3年の夏だった。

当時J1に所属していた大宮アルディージャから声がかかり、2日間の練習参加でアピールに成功すると、週末の練習試合にも呼ばれた。

その試合で、佐相は2ゴール1アシスト。

対戦相手は同年代の大宮アルディージャU18だったとはいえ、誰が見ても明らかな結果を残すと、その日にオレンジキューブの駐車場で西脇徹也強化本部長から正式なオファーをもらった。

練習試合を見に来ていた家族から「どうするの?」と聞かれた佐相は即答した。

「行かないわけないでしょ!」

高卒1年目の選手がいきなり活躍できるケースは稀だ。大宮からのオファーがなければ大学でプレーするつもりだったが、「大学での4年間より、プロで過ごす4年の方が得るものはたくさんある」と考え、大宮への入団を決断した。

その年の冬、昌平高校は埼玉県代表として、全国高校サッカー選手権大会に出場。最終学年にして、高校サッカー部員の誰もが目指す場所に佐相は立った。

広島皆実高校との1回戦の会場は、奇しくも高校卒業後に自分のホームとなるNACK5スタジアム大宮だった。

会場に駆けつけた大宮サポーターは『輝け佐相。ここはお前のホーム』と横断幕を掲げた。

佐相が前半19分に先制点を決めて、PK戦の末に勝利。「自分が点を決められて、チームも勝ってよかった」と胸をなでおろした。

2回戦、昌平高校は神村学園に0-1と惜敗。佐相の高校生活はここで終了し、プロ選手としてのキャリアが始まった。しかし待ち受けていたのは、想像以上に厳しい世界だった。


悔いが残ったデビュー戦

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プロ1年目の2018シーズン、開幕から3カ月後の6月23日、19歳の誕生日を迎えた翌週、佐相はJリーグデビューを果たした。

1週間前の練習試合でゴールを決めたことが評価され、京都サンガF.C.とのアウェイゲームに帯同。出場機会が訪れたのは、3-0とリードした80分のことだった。

ピッチに立って数分後、ビッグチャンスが訪れる。

マテウスからのクロスに飛び込んで、「触ればゴール」という場面だった。だが、緊張からか足がもつれてしまった佐相は決定機を逃してしまう。

「あの1点でサッカー人生が変わっていたかもしれない。なんで触れなかったのか。あのチャンスを生かせなかったら、試合に使われなくても仕方がない」

プロ1年目は公式戦2試合の出場に留まった。2年目は高木琢也監督が就任し、ウイングバックという新たなポジションでも起用されたが、チーム内の序列を覆すことはできなかった。

翌シーズン、佐相はJ3のAC長野パルセイロへ戦いの場を移す。長野の横山雄次監督から熱烈なオファーを受け、大宮からも「出場機会を得られる場所で経験を積んだ方がいいんじゃないか」と言われ、期限付き移籍を決断した。

「横さんのサッカーは走る、戦う、勝つがコンセプトにあって、がむしゃらに戦っていました」

第4節の福島ユナイテッドFC戦で初先発すると、Jリーグ初得点を挙げるなど27試合5得点。移籍の目的であった試合経験を積んで、大宮へと戻った。

「生きるか死ぬかの瀬戸際のつもりで臨んだのですが……」

2021シーズン終了後、11試合0得点だった佐相に突きつけられたのは「契約満了」という4文字だった。

「今、サッカーがめちゃくちゃ楽しい」

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21歳でサッカーをする場所を失った。「辛かったし、悔しかった」。それでも、「このまま終わるわけにはいかない」と前を向いた。
トライアウトで2ゴールを決めてSC相模原との契約を勝ち取った。1年目はJ3で最下位に沈み、多くの選手が入れ替わった。

2年目、佐相にとって運命の出会いが待っていた。新たに相模原を率いることになった戸田和幸新監督だ。

副キャプテンに任命された佐相は、2列目のトップ下もしくは右サイドとして、ほとんどの試合でフル出場している。
戸田監督が目指す攻守が連動したサッカーを実現する上で、運動量と献身性を併せ持つ佐相はキーマンと言っていい。

「彼がいることで作れているもの、保てているものがある」(戸田監督)

プロになって、こんなにも信頼してもらったことはなかった。こんなにも魅力的なサッカーに挑戦したこともなかった。

だから、佐相は「今、サッカーがめちゃくちゃ楽しいです。(プロになってからの)6年間で一番楽しい」と笑顔を見せる。

サッカー選手として充実した時間を過ごせている喜びと同じぐらい、チームの結果に対しての責任も感じている。
第2節の福島ユナイテッドFC戦以降、リーグ戦では勝利から見放され、ホームの相模原ギオンスタジアムでは1年以上も勝っていない。

6月24日、愛媛FC戦で1-2で敗れると、とうとう20チーム中20位にまで順位を下げてしまった。その翌日、佐相はインスタグラムに長文のメッセージを投稿した。


成長なくして成功のないチームだと思います。
だからどんなに結果が出なくても、苦しくても、やり続けるだけです。
出来ることが増えた実感はあります。僕個人としても出来なかったことが出来るようになったこともあります。
でも試合に勝てなかった、なら練習するだけです。
たくさん練習して練習して強くなるしかないです。

相模原がJ2に昇格した年、僕は相模原と昇格を争った長野にいました。
あの時の相模原の粘り強さ、手強さはものすごく嫌でした。
最後の最後まで昇格争いはもつれ込み、優位だと思われた長野は諦めなかった相模原に追い越されました。
あの時の悔しさは今でも覚えています。

僕自身まだ相模原は2年目ですが、サガミスタのみなさんからしたら選手も大きく入れ替わり、全く新しいSC相模原だと思います。
ただ、これだけは言えます。
僕たちも #諦めの悪い男たち です。

たくさん練習して必ず成長します。
成長して必ず強くなります。


本人によれば、「インスタを打っていたらどんどん降ってきたので書いておこうと思って書きました」という。

2020シーズン、J2昇格を最後まで争った長野にいた佐相は、相模原があらゆる苦境を跳ね除けて、奇跡を起こしたことを知っている。そんなクラブの歴史を背負っていることに誇りを持っている。

佐相は、諦めが悪い。

どんなに結果が出なくても毎日の練習に全力で取り組んできた。契約満了を言い渡されてもサッカーができる場所をつかみとった。どんな試合展開になっても最後までボールを追いかけてきた。

甘いマスクの奥底には、誰にも負けない強い情熱がある。

佐相は、絶対に諦めない。未来を信じてやり続けた先にこそ、最高の喜びが待っているから。


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MF22
佐相 壱明
KAZUAKI SASO


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