取材・文=北健一郎、舞野隼大(SC相模原オフィシャルライター)
新生・SC相模原の公式戦ファーストゴールを決めたのは、この男だった。ガイナーレ鳥取との開幕戦、前半で0-2とリードされて苦しい展開となったチームを、スタジアムを、泥臭いゴールで蘇らせた。
松澤彰。
189cmの長身を活かしたポストプレーに、チームを盛り上げる天性の明るいキャラクター。SC相模原にとって早くも必要不可欠な存在だ。
だが、松澤は数カ月前までサッカー選手としてがけっぷちに立たされていた。大卒後に加入したカターレ富山から2年目終了後に戦力外通告を受けた。怪我もあってJクラブからのオファーは届かなかった。
JFLの東京武蔵野ユナイテッドFCでは社会人と二足の草鞋を履きながらプレーし続けた。もう一度、Jリーグの舞台に立ちたい――。そんな気持ちが、この男を突き動かしてきた。前線で起点となる選手を探していた戸田和幸監督の目に留まった。
「俺はまだまだ上を目指せる」
野心に溢れるストライカーは、貪欲に高みを目指す。
ハワイ生まれは「マジです」
「アキラ・マツザワ・クリスチャンです」
1月、アリオ橋本で行われた「2023シーズン新体制発表イベント」で“チーム・ハーフ”の一人として登壇した松澤はそう名乗り、ステージを囲んでいたサガミスタの笑いを誘った。ふざけてるのでは?と疑いの目を向けられたが、松澤によれば、どうやら本当の話だという。
「みんな信じてくれないんですけど、マジなんです(笑)。母が日本人で、父がスペイン、アメリカ、フィリピンで、クォーターで、ハワイで生まれました」
青い海と白い砂浜……。世界的なリゾート地でもあるハワイで過ごしていたが、松澤が4歳の時に両親が離婚。母と松澤、弟の3人は日本に戻って、母の実家のある愛知県で生活することになった。
「家庭内では英語で喋っていたみたいなんですけど、こっちで暮らしているうちに、いつの間にか“日本人”になっていました」
松澤とサッカーの出会いは小学4年生のこと。仲の良い友達に誘われて「なんとなく」始めた。プロになりたかったわけでも、誰かに憧れたわけでもない、遊びの延長だった。
だが、当時から周りの子と比べてもサイズに恵まれていた松澤は、文字通りサッカーの世界で頭角を表していく。中学3年生の時には、ナショナルトレセンにも呼ばれるなど、Jクラブのユースから注目される選手になっていた。
その中から松澤が選んだのは浦和レッズだった。中学3年生の終わり頃には埼玉県に引っ越し、浦和の中学に編入。埼玉県での高校受験を経て、浦和ユースに加入した。親元を離れての寮生活に、寂しさはなかったのだろうか。
「全然なかったです。お母さんからは名古屋グランパスじゃダメなの?と泣かれましたけど……」
持ち前の明るさで、全く知り合いがいない環境でも、すぐにチームに溶け込んだ。3年時には“県外組”にも関わらず、キャプテンに任命された。誰よりも声を出して、チームを盛り上げるのは、今と変わっていない。
だが、トップ昇格はならなかった。トップチームの練習に2回ほど呼ばれたこともあったが、“ミシャ”ことミハイロ・ペトロヴィッチ監督が率いるチームのパスワークの中で、決定的なアピールをするには至らなかった。
松尾佑介と上田綺世からの学び
高校3年生の時、チームはJユースカップで優勝を果たした。松澤は決勝戦を怪我のため欠場し、クラブの施設で画面越しにチームメートの戦う様子を見守った。この時、一緒に試合を観戦したのが現在ベルギーのKVCウェステルローに所属する松尾佑介だった。
「隣にいた松尾が『俺は仙台大ですぐに10番つけてプロになる』と話して。あいつ、普段は感情を表に出さないタイプなので驚いたのを覚えています」
松尾と同じように、松澤も大学経由プロ行きを目指すことになった。進路は法政大学。そこではプロに行く上での重要な出会いが待っていた。大学ナンバーワンストライカーと呼ばれていた上田綺世だ。
「それまでは正直言うと、何も考えてなかったんです。でも、綺世と話をしているうちに『めっちゃ考えながらやってるんだな』と。DFラインの背後への動き出しとか、シュートの打ち方とかFW陣で全体練習後に話し合っていました」
ちなみに、上田は松澤にとって一学年下の“後輩”にあたる。だが、法政大には先輩・後輩の壁がなく、フラットにお互いに話せる空気感があったという。そこで得たものは、今の松澤に大きな影響を与えている。
富山でぶち当たった壁
「親を泣かせて関東に行って迷惑かけていたし、どうせやるならプロになりたいと思っていた」
その言葉通り、松澤は大学での4年間でプロへの扉を開いた。松澤にオファーを出したのは、日本代表で活躍したFWの黒部光昭氏が強化担当を務めていたJ3のカターレ富山だった。
「黒部さんは僕の可能性を評価してくれて、足りないところを磨けと背中を教えてくれました」
松澤がプロ1年目に残した数字は、リーグ戦10試合に出場し1得点。最終節でプロ初ゴールを決めた。しかし、石﨑信弘氏が監督に就任した2年目は4試合・0得点。
「途中出場が多かったですが、前線でうまく起点になれず、怪我をして離れる時間も多くて……」
1年目から試合に絡み、結果を残すことが求めらながら、2年間でわずか1ゴール。2年目終了後に待っていたのは、来シーズンは契約を結ばない、いわゆる「契約満了」という残酷な現実だった。
シーズン終盤に負傷した影響で、トライアウトも受けることができなかった。オファーがあったのはJFLのクラブのみ。Jクラブへのこだわりはあったが、「試合に出られないと、何もない」と富山の2年間で感じた松澤は、東京武蔵野ユナイテッドFCへの加入を決めた。
プロ契約ではなく、仕事をしながらプレーするアマチュア契約だった。勤務先は区役所。ほかの職員と同じように朝から夕方まで働いて、電車で1時間以上かけて三鷹市のグラウンドへ。19時からの練習を終えて、家に帰った時には日付が変わっているという、過酷な生活がスタートした。
それでも、松澤には強い決意があった。
1年でJリーグに戻る――。
「働いている人のすごさを感じましたし、プロとしてサッカーができるののが、どれだけ幸せなのかと感じました。僕はプロの世界で何もできなかった。だからこそ、もう1回挑戦したかった」
当時、結婚を前提に交際していた彼女からは、「ずるずる続けるくらいなら、今年がラストシーズンじゃない?」とも言われたという。“勝負の1年”が始まった。
まだまだ上を目指せる
ある日、SC相模原で監督を務めることが決まっていた戸田監督がJFLの試合へ訪れた。視察対象は東京武蔵野ユナイテッドFCの別の選手だったという。だが、そこで目に留まったのはサイズと機動力を併せ持った松澤だった。
ここから、松澤の運命の歯車は一気に加速していく──。
偶然にも、松澤の代理人と戸田監督は旧知の仲だった。戸田監督から興味を持っていると伝えられ、面談の機会が設けられた。
「僕が見た試合のパフォーマンスを続けられるなら未来はある。点の取り方や、技術を上げる手伝いはするから、猛烈な気持ちを持ってやってほしい」
そんなことを言われて、燃えないはずはない。「俺ってまだまだ上を目指せるんだ」と、富山で挫折を味わった松澤のなかに再び自信が生まれた。
「無給でも行くつもりでした」とオファーを受けた時点で、松澤のなかで答えは決まっていた。面談では「よく考えてから決めてくれ」と戸田監督に言われ、数日後、改めて自分の覚悟を伝えた。
ハードな生活を送りながらも努力をやめなかったことでつかんだチャンス。松澤は、「1年でJリーグに復帰する」という言葉を現実のものにし、陰でずっと支えてきてくれた母も自分のことのように喜んでくれたという。
「女手一つで俺と弟を育ててくれたので、お母さんに恩返ししたいです」
SC相模原では開幕スタメンを勝ち取った。ガイナーレ鳥取戦で2023シーズンの初ゴールを挙げると、第2節の福島ユナイテッドFC戦では白星に貢献した。
勝利の試合後のサガミスタとの恒例行事「ファミリア」で前に出たのは「スタッフの鈴木淳さんに無茶振りされたから」だったと笑う。
「でも、楽しかったです。自分が試合に出て、チームが勝って、サポーターのみなさんと喜び合う。サッカー選手として最高に幸せな時間だなって。ただ、ギオンスで踊れるように、ホームで勝ちたいです」
戸田監督からは「もっとできるだろう」とハッパをかけられている。出場するのを楽しみにしていた古巣の富山戦ではメンバー外。複雑な気持ちを抱えながらCゲートでサガミスタのお出迎えをした。
「正直、メンバーを外れて悔しい思いもありましたが、そこで腐っている場合じゃない」
その言葉通り、2日後の天皇杯の神奈川県予選決勝ではY.S.C.C.横浜を相手に勝利を決定づけるゴールを決めた。戸田監督からのメンバー外という“メッセージ”に結果で応えた。
「戸田監督から言われたことをピッチで表現しなければいけないという強い気持ちでプレーしました」
前から走る、体を張ってキープする、味方のためにマイボールにする。強い雨が降る中で、交代でピッチを後にする最後まで、18番は泥臭く戦い抜いた。
今後の目標は?と聞くと「ない」と返ってきた。だが、それは何も考えていないということではない。
「先を考えている暇はないというか、1週間準備して公式戦に臨むサイクルのなかで目の前の1試合にどれだけ自分が貢献できるかが精一杯なので。自分に足りないところを伸ばすことしか考えていません」
チームを勝利に導くゴールも、ギオンスでのファミリアもまだこれからだ。背中を押してくれるすべての人のために恩返しする意味も込め、結果を追い求めて、松澤は突き進んでいく。
FW 18
松澤 彰
Akira Matsuzawa
■SC相模原オフィシャルメディア『ファミリア』
https://www.scsagamihara.com/familia